ヨーコとヒロシの日食観測

インドネシア皆既日食 (1983年6月11日)


初めての皆既日食であり、ヒロシには2回目の、ヨーコには初めての海外旅行。空港までは二人とも緊張気味でした。しかし集合場所で、OB会メンバーと合流するとホットしました。OB会の8名はH電観光の39名のツアーに加わっていたが、行く先々であちあことへと物見遊山の自由行動、添乗員も驚くほど。ジャカルタで1泊もしない内にジョクジャカルタに移動、しかし異常気象で5月に終わる雨季がまだ残っていて、観測日の前々日、前日と雨でした。前夜、気象予報官のU井氏を中心にどこへ行こうか議論。しかしインドネシアには正確な気象情報がない。

当初の予定地のボロブドールからプルワルジョに変更した。少し遠いので、当日は4時半という驚異的な時間に出発。他のツアーメンバーと分かれてオンボロのベンツでのマイクロバスで2時間移動。お天気はまあまあ。現地は広いサッカー場で周りを警官が警備している。バスを降りると観測隊が一杯。そこで何と、Y岡夫妻が前夜からここで野営していた。これで10名合流。

いよいよ食が進行し80%を超えた頃より少し涼しくなってきた。心配の天気は快晴となり、皆既とともに鶏の鳴き声が聞こえた。ダイヤモンドリングに続いてコロナが燦然と輝くといっせいに拍手が沸き起こった。太陽は細くなってもダイヤモンドリングが見えるまでは、強烈に明るい。今回のダイヤモンドリングは月の谷が長く少し長い時間見えた。シャドウバンドはヨーコとK本さんが見ただけで、ヒロシはカメラ操作に追われ見る余裕無し。シャドウバンドは薄かったとのこと。S田氏がコロナを求めて何度も海外へ出かけたのが理解できた。一度見るとこれは中毒になりそう。

ヨーコもヒロシもまた絶対見に行くつもり。次はどこか。91年のメキシコか。

ヒロシは初めての日食であり観望と観測と欲張ったのでフラッシュスペクトルを撮るつもりで機材を準備し、挑戦した。しかし、コロナとプロミネンスを見て、その素晴らしさに放心状態で、興奮のあまりフィルムの巻き戻しミスでカメラのふたを開けてしまった。でも大事なフラッシュスペクトルは助かった。南半球に初めて行ったので、太陽が北にあるため、西から東へ移動するような錯覚を経験した。ヒロシはこの後飲んだヤシの実ジュースが原因で激しく下痢し、大阪空港では検疫所に直行することとなった。


第2接触のダイアモンドリング

皆既中のコロナ

第3接触のダイアモンドリング

第3接触のダイアモンドリングのスペクトル

第2接触直前の光球のスペクトル

第3接触のコロナのスペクトル

フラッシュスペクトル:機材は反射型グレーティング(1200本/mm)と135mmF3.5 光球では連続スペクトルに暗線(フラウンフォーファー線)、コロナでは輝線スペクトルが見える。

コロナの主な輝線では、水素のHα(656nm 赤)、Hβ(486nm 青)、Hγ(434nm 紫)、Hδ(410nm 紫)および ヘリウムのD3(588nm 黄)、鉄(530nm 緑)、マグネシウム(517,518nm 緑)の輝線が良く分かる。